ボーダラインを観て来た


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映画、ボーダーラインを観て来た。

border-line.jp

 

なぜ、この映画は上映館が少ないのだ。大変不満だ。

私はこの世の中において全てがモラル、道徳、倫理感で解決するなどと考える、楽観主義者ではない。銃口を突きつけられてから話し合いをしようということは決して生き残るための最善の方法とは思えない。黒なら黒しかない。灰色でいることの危険性、ましてや、白だけで生きていこうとすることがどれだけ間が抜けていることかと思っている。

さて、映画は素晴らしかった。満点評価を与えたい。邦題だけがミス。そこは評価の対象外にしたい。なんで日本人が絡むと映画の本質からずれるのか。原題のSicarioでいいじゃないか。

以下ネタバレあり。

エミリー・ブラント演じる、ケイトはCIAのマット率いる特殊部隊にリクルートされ、結果的に逮捕できるのならと自ら志願する。しかし、その特殊部隊は超法規的作戦部隊で上司より、「遥か上からの命令で動いている」部隊と言われるものだった。その部隊の目的とは?

部隊の中には実行部隊のデルタフォースもいる(流行りのシールズ、DEVGRUじゃないのがいい)し、ベニチオ・デル・トロが演じる、アレハンドロもいる。アレハンドロは口数の少ない不気味な存在としているが、話が進むにつれ、彼がなぜその部隊にいるのか、なぜそこまで非情になれるのかがわかってくる。かつては法を司る側のコロンビアの検察官だったアレハンドロは非合法な拷問を行い、躊躇なく人を殺す。目的のためなら暴力をためらわない。

アメリカの特殊部隊、デルタフォースもアレハンドロ同様、ダーティな仕事を行う。しかし、隊員にとっては作戦であり、命令だ。

作戦説明の時に、「デルタの後ろにいろ、それが一番安全だ」と言い笑いを誘っているが、笑えない雰囲気が出ていて、ああいいなぁと思った。

軍事行動にはROE(Rule Of Engagement=交戦規定)が存在する。劇中何度も、これを確認しているが、ギリギリ守っているかどうか。特に国境沿いでの発砲は一瞬の躊躇が即、死を招くような緊張状態。隊員たちは一瞬にして全員を射殺した。ケイトにとっては違法行為にしか思えない行動だった。

また、トンネルのシーンではROEは?の問いに"自由射撃"と訳されているが、劇中ではは"Weapons Free"と言っているように聞こえた。Weapons Freeとは、

weapons free

  1. (military) An order that weapons may only be fired at targets (especially aircraft または missiles) that are notpositively identified as friendly

weapons freeの意味 - 英和辞典 Weblio辞書

友軍以外は発砲してもよしということか。

Weapons free(兵装使用自由).
軍隊司法警察における交戦規定基本的種別のひとつで「脅威もしくは目標に対し自己の判断で兵装を使用して良い」という意味。 

ウェポンズフリーとは - 航空軍事用語 Weblio辞書

劇中のトンネル内ではきちんとROEが守られている。対象なら誰でも殺していいと言うROEを発令しているのはもちろん法を司る人々だと思う。すなわちメキシコとアメリカの国境沿いのトンネル内における殺害は誰も法に問われないということになる。なぜそんな命令、ROEが下されるのか。どうみてもめちゃくちゃだ、法律違反だと感じるのはケイトだ。映画としてケイトがいないと成り立たないと思った。きれいごとを言わないキャラだったら淡々と人を殺すだけの映画でつまらないだろう。

マットはアメリカが麻薬をコントロールできなくなってきたので個人的な復讐で参加しているアレハンドロを利用し、再びコントロールできる状態に戻すことが目的だと語る。国益優先だと言っているようだ。また、その為には超法規活動は当然必要だと。ケイトは暴露してやると怒る。

アレハンドロは復讐の目的である、麻薬王アラルコンとその家族を殺害し、娘、妻の復讐を果たす。このシーンも超法規特殊部隊ならビンラディン暗殺よろしく、デルタが一斉のでアラルコン宅を襲撃するわけでもないのが「Sicario」というタイトルと合わせているのだろう。リアリティより、シナリオ優先。

また、ケイトに今回の捜査は違法ではなかったというサインを書かせようとするが、できないとケイトに言われると銃を突きつけ強制的にサインを書かせる。そこでケイトの正義を貫けば問答無用に殺していただろう。ケイトもそれを感じ、涙を流しながらサインをする。そして、サインを得て、去ろうとするアレハンドロに向けて銃を構えるが撃てない。ここでも彼女の正義が行動を阻む。果たして彼女は正義を貫いたのだろうか。強制されてサインした時点で正義は貫けなかった。暴力の前に想いは無力だ。正義が、倫理が、モラルが最優先という人は銃口を突きつけられてもそれを言い続けるがいいと思う。それで死んでも誰の記憶にも残らず、ただ死ぬだけだ。死んだら何もない。死だけ。銃を突きつけられたら正義を曲げてでも生きていた方がいいと思わない?正義は後で考えればいい。

ラストシーンでは暗闇にいるアレハンドロと光の当たる側にいるケイトが象徴的に描かれていて、とてもわかりやすい映画になっている。

悪に染まるかどうかと議論されている映画のようだが、どうも違うと思う。必要悪としての暴力は存在するのかどうかという点が重要だと思った。暴力が法を超えた時、法はより強力な暴力を欲する。また、それに対して暴力もさらなる暴力で法を超える。さらに法は暴力を強大なものとする。

つまり、より強力な暴力を持ったもののみが法を執行できる。正義ということができる。

アメリカがいい例だった。ブッシュ政権の正義である、9.11以降の「我々に着くか、あちら側に着くのか」と言ったのは強い軍事力があってこそだ。日本が言っても意味がない。そして、その軍事行動によって疲弊して、今や世界の覇権は中国が握ることになりそうな勢いだ。しかし、当面その勢いがあるだけで、その経済力に裏打ちされた勢いは30年後には少子高齢化により無くなり、もしかしたら共産党は解散しているかもしれない。中国は内戦になっているかもしれない。

正義とは他の正義より強い暴力を持っている時のみ正義ということができるのだ。強制力によってのみその正義に従わせることができる。

正義とは倫理観などではない、暴力による実力行使の結果である。

人と人の主張が異なった場合、話し合いで折り合うことができなかったら、最終的には強制力、つまり暴力が必要となる。殴って言い聞かせるしかない。つまり国家間において主義主張が異なる場合、それを解決する最終手段は暴力=軍事力以外ないと断言できる。

今の国家において、どれだけ発言力、強制力を持てるかは経済もさることながら、軍事力の方がより効果的だ。

DVDが出たら、即買おう。いい映画だった。

ボーダーライン [Blu-ray]

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 へぇ、アマゾンってこんなのも扱っているのか。

Sicario

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 音楽は相当かっこよかった。

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 あ、もうBD出ているのか。日本語対応しているのかな。